嵐電壬生駅コラム/街はエイトビート

昭和生まれのRock人間が街の風景を紹介 もりもり

私は以前、2~3年間のことですが、地下鉄に乗って通勤していたことがあります。

もともと電車やバスをあまり利用しない人間だったのですが、毎日乗車することで他の方々には当然なことに改めて気づかされたことがありました。

それは「駅ナンバリング表示」というものです。

私の利用していた地下鉄は京都の東西線でしたが、各駅は東西線の頭文字である「T」と2桁の数字を合わせた駅ナンバー(以下、「駅番号」と表記します。)で示されます。

例えば、二条駅は「T15」と表示されます。

このシステムの開始に際し、京都市長は、

「駅ナンバリング表示は、目的駅、降車駅や乗換え駅までの駅数、車両の進行方向などが容易に確認できるというメリットがあり、特に駅名に不案内な外国からお越しの方々や初めて市営地下鉄をご利用になるお客様に気軽に安心してご乗車いただくことができるものでございます。」

と記者会見で述べています。

私は当初、車内アナウンスなどでこの駅番号が放送されることにちょっとした疑問を感じたりもしていました。

駅名、地名などはそれぞれの地の歴史と共にあるのに、無機質な記号番号で呼ぶことはいかがなものかと考えていたわけです。

しかしながら、特に外国人などの旅行客に対して、ただでさえ分かりにくい駅名(≒地名)を単に日本語以外の言語で表示することに比べると、なかなか合理的なものであると思うようになりました。

先日、阪急電車に乗ったのですが、次の停車駅を案内する時と、電車がその駅に止まった時に案内する時の2回にわたり、英語で「station number **」とアナウンスしていました。確かに旅行客にとって便利なものなのでしょう。

我街を走り抜ける京福電気鉄道嵐山本線(以下「嵐電」と表記します。)にも駅番号があります。

A1は四条大宮駅であり、次にA2として西院駅が表示されています。

四条大宮駅掲出の嵐電路線図

しかし面白いことに、嵐電の駅番号は2016年4月1日に変更されており、西院駅から嵐山駅までの各駅の駅番号がそれまでよりも1つ少ない数字になったのです。つまりそれまでは、西院駅はA3と表示されており、A2は欠番になっていたのです。

これは、四条大宮駅と西院駅間にあった壬生駅が、1971年7月11日に廃止になったことに伴うものなのですが、1971年から2016年までの間、長く欠番のままでした。

このため、嵐電は壬生駅を作ろうと計画していたが実現しなかったという説や以前に存在していた壬生駅をまた復活させるという説などさまざまなことが語られていました。

実は私もこの地に転居してきてから、そのような話を耳にして、壬生駅はどこにあったのだろうと考えるようになりました。

私の推理に一つのヒントを与えたものは、嵐電の上下の動きです。

四条大宮から西院までの間、嵐電はほぼ東西方向に走っていますが、その間南北に交差する道路の主なものとしては、東から、壬生川通り、坊城通り、千本通り、東新道通り、中新道通り、西新町通り、御前通り…と列挙することができます。

そして、四条大宮から出発した嵐電は、壬生川通りと坊城通りでは、踏切を平面的に通過します。

しかし、その先の千本通り、東新道通りに至りますと、線路は高架となり、道路の上を跨いで敷設されています。

その後はまた線路は下降して、中新道通りから平面の交差が復活します。

私は当初、住宅で溢れる狭量な土地の中にこの高架部分を利用して壬生駅が設置されていたのではないかと考え、千本通りや東新道通りの高架部分周辺を、駅が存在した痕跡、例えば階段の名残などを求めて、ウロウロと「調査」していたこともあります。

しかし、高架の理由は全く違いました。

嵐電が敷設された時代にはJR=国鉄が地上を走っていたため、嵐電がそれを跨ぐ形で高架になっていたのです。

それでは、壬生駅はどこにあったのでしょうか?

あるいは建設予定のまま存在しなかったのでしょうか?

地元に長く住んでおられる方にお聞きしますと、答えはすぐに分かりました。

壬生川通りと嵐電の交差部分に壬生駅はあったようです。

嵐電壬生駅跡、右端は壬生川通り

少し調べますと、壬生駅は何度も休止と復活が繰り返されていたことが分かりました。

そして、上に書きましたように、経営上の要請から1971年7月11日に完全廃止となり、その後駅番号もなくなってしまいます。

嵐電に乗った時に感じられたこともあると思いますが、四条大宮駅から西院駅までは、他の区間と比べてけっこう長い距離があります。

しかし、四条大宮駅から当時の壬生駅までは逆にかなり短い距離となっていました。

市バスの四条大宮・壬生寺道の1駅間と比べても非常に短いものです。

まあそのような要素にも惑わされ、私は自分の稚拙な推理に従ってウロウロと「調査」していたのです。

さて、ここにきて新たな疑問が生じました。

壬生駅が最終的に廃止された1971年は私が高校2年の年です。その少し前まで私は中学校に通うため、3年間毎日四条大宮まで嵐電に乗っていたのです。

しかし、何故か壬生駅に関する記憶は全くありません。

駅番号と共に完全に消え去っています。

困ったものです。

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投稿者プロフィール

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もりもり
1955(昭和30)年、東京は世田谷生まれ。
その後、愛知県岡崎などを経て、京都市に到着。
65歳時に癌を患い、抗癌剤の副作用等々で、それまで毎週の芝刈り生活を終了。
現在は専ら家庭菜園で、暑い寒いと文句を言いながら土を耕し中。
今もRock BandでBassなどを担当。

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