京都と中京区の歴史 幕末編 その4「八月十八日の政変~池田屋事件」

(前回までのあらすじ)
治安が悪化する京都では、治安維持のため京都守護職が設置され、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が就任しました。
幕府は上洛する将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の警護のため浪士組を結成します。京都に移動した浪士組は意見の対立から分裂し、一部のグループが壬生浪士組(のちの新選組)を結成しました。

八月十八日の政変

京都では、長州藩を中心とした過激な尊王攘夷派が台頭し、長州と結んだ三条実美(さんじょうさねとみ)や姉小路公知(あねがこうじきんとも)といった尊王攘夷派の公家が勢力を拡大していました。

これに対し、公武合体派も巻き返しを図ります。
公武合体派の薩摩藩は京都守護職である会津藩に接近し、尊王攘夷派の公家と長州藩の朝廷からの追放を計画します。

1863年8月18日、会津藩と薩摩藩を中心とする兵が京都御所にある9つの門を封鎖し、クーデターを決行します。
これにより尊王攘夷派の公家たちは参内を禁じられ、失脚。長州藩は堺町門の警固役でしたが、その役をやめさせられました。

これを「八月十八日の政変」といいます。
その後、三条ら尊王攘夷派の公家たちは長州へと逃れました。

壬生浪士組もこのとき、御所の警備にあたりました。
働きを認められた壬生浪士組は、事件後「新選組」の名前を与えられます。

この八月十八日の政変により、尊王攘夷派と長州藩の勢力は一掃され、公武合体派の勢力が強くなりました。
これ以降、志士たちは潜伏して活動することになります。

語句の意味

京都守護職:朝廷の警備や京都市中の治安維持を行う職。
会津藩:今の福島県西部と新潟県の一部、栃木県の一部を領地とした藩。
長州藩:今の山口県を領地とした藩。
尊王攘夷:天皇を敬い、外国を排斥しようとする思想。
公武合体:朝廷と幕府が協力しようとする思想。
公家:朝廷に仕える身分の高い人。
薩摩藩:今の鹿児島県と宮崎県の南西部を領地とした藩。
京都御所:江戸時代までの皇居。
参内:朝廷に出勤すること。

池田屋事件

長州藩は失脚しましたが、尊王攘夷派の志士たちは京都に潜伏し、勢力の挽回を目論んでいました。
市中の警備を担当する新選組は、尊王攘夷派の捜索を行います。

1864年6月、新選組は四条で炭薪商を営む枡屋喜右衛門を捕らえます。
枡屋喜右衛門の正体は、古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)という近江出身の尊王攘夷派の志士でした。

新選組副長の土方歳三は古高を拷問し、尊王攘夷派の計画を白状させます。
その内容は「京都の町に火を放ち、その混乱に乗じて公武合体派の中川宮朝彦親王(なかがわのみやあさひこしんのう)を幽閉、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)や松平容保らを暗殺し、孝明天皇(こうめいてんのう)を長州へ連れ去る」というものでした。

この計画を阻止するため、探索を進める新選組は、計画の首謀者たちが三条の旅宿・池田屋に集まることを突きとめます。
新選組はこれを襲撃し、多くの尊王攘夷派の志士たちを殺傷、捕縛しました。

この事件を「池田屋事件」、または「池田屋騒動」といいます。
これにより尊王攘夷派の指導者的な立場だった肥後の宮部鼎蔵(みやべていぞう)や、長州の松下村塾の四天王といわれた吉田稔麿など、多くの有力な志士たちが命を落としました。
その結果「明治維新が遅れた」ともいわれています。
一方、京都を守り抜いた新選組は、その名を天下に轟かせることになりました。

語句の意味

近江:今の滋賀県。
肥後:今の熊本県。
松下村塾:江戸時代末期、多くの尊王攘夷派の志士を輩出した長州の私塾。四天王は他に高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一。

その頃中京区では

八月十八日の政変、池田屋事件で活躍した新選組は、壬生を屯所(宿所)としていました。
土方歳三が古高俊太郎を拷問した蔵は、今も「旧前川邸」に残っています。

池田屋はその後廃業し、現在は跡地に石碑が建てられています。

旧前川邸

前川家は壬生の郷士。池田屋事件の当時、邸宅が浪士組の屯所として使われました。
土方歳三による古高俊太郎への拷問は、前川邸の東の蔵で行われました。この東の蔵は現在も残されています。

現在は個人宅となっており、内部の公開はされていませんが、毎週土・日曜と祝日のみ、玄関において新選組グッズと旧前川邸オリジナルグッズの販売が行われています。

旧前川邸
京都市中京区壬生賀陽御所町49
https://kyu-maekawatei.com/

池田屋

池田屋は三条木屋町にあった旅籠。「池田屋事件」の後もしばらくは営業していましたが、のちに廃業しました。
1960年ごろまでは当時の建物が残っていましたが、その後取り壊され、現在は新選組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」が営業しています。
店の前には「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑が建てられています。

池田屋騒動之址
京都市中京区中島町78

次回、「京都と中京区の歴史 幕末編 その5」に続きます。

参考文献

『少年少女 日本の歴史』小学館
『県史26 京都府の歴史』山川出版社
大石学『新選組「最後の武士の実像』中公新書
司馬遼太郎『司馬遼太郎の日本史探訪』角川文庫
週刊朝日編集部『司馬遼太郎の幕末維新1』朝日文庫

投稿者プロフィール

kumasaki
kumasaki
大阪で生まれ育ち、SEやDTPデザイナー・オペレーターを経て、京都の某情報誌でいつのまにか編集・ライターになってました。読書と酒と犬をこよなく愛し、面白そうなことに首を突っ込みます。

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