西院✖️西院 コラム連載/ 街はエイトビート
昭和生まれのRock人間が街の風景を紹介〜もりもり
私の家から最も近いターミナル駅といえば四条大宮なのですが、そこを中心に広がる街はこの数年の間に本もCDも売っていない駅となってしまいました。
以前は映画館が2つ、そしてボーリング場もありました。
阪急も特急停車駅でしたが、今はつれなく素通りされてしまいます。
私も、ちょっとした買い物の時には西大路四条=西院に行くことが多くなりました。
西院の街は、失礼ながら以前はちょっと暗く、ちょっと「怖い」場所でした。
今はメイン交差点に大きな複合ビルができ、周辺には家電量販店や本屋、CDショップなども軒を連ねています。
若者向けの飲食店なども増え、明るく賑やかな街に生まれ変わりました。
四条大宮の移り変わりとは対照的な感があります。
ここ西院には2つの電車が乗り入れています。
阪急電車と嵐電です。
昔日、この両者を乗り継ぐにはその間300メートル弱を数分間かけて歩く必要がありました。
現在は、阪急の地下通路や嵐電の乗り場などが大幅に改修され、両駅は直結されています。
阪急西院駅のプラットホームは右京区にあり、嵐電は中京区にあります。
両者の違いはその場所だけでなく、阪急は駅名を「さいいん」と呼び、嵐電は同じく西院と書きますが「さい」と呼んでいます。
この2つの読み方は歴史的に輻輳している面がありますが、その読み方も含めこの地名の由来については諸説あります。
主なものは次の2つです。
1つは、平安時代、この地に「淳和院」と呼ばれる淳和天皇の離宮があり、そこが皇居から見て西の方角にあったため「西の院」、通称「西院」と呼ばれ、その一帯も「西院」と呼ばれるようになったという説。
今1つは、「さい」は「賽」、即ち「賽の河原」を意味するというものです。平安時代、西の京極に位置していたこの場所は魔界との境目とされ、そこに「三途の川」の河原があると考えられていたという説。
私的には第1の説が正解かなと思いますが、ネットなどでは第2の説が大きく取り上げられることが多くあります。
ミステリアスな要素もあり、面白く語ることのできる説であるからかもしれません。
ちなみに西大路四条東入北側にある「高山寺」の石標には「西院(さい)の河原 旧跡 高山寺」と書かれています。
さて、西院に関して忘れてはいけないことがあります。
阪急京都本線は西院駅のすぐ西で地下に潜り、以東は四条通の直下を走って河原町終点に至ります。
この地下線は関西では初となる歴史あるもので、土木学会選奨土木遺産に指定されています。
阪急の駅の中でも特に歴史を感じることのできる空間で、私などはホッコリとしてしまいます。
投稿者プロフィール
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1955(昭和30)年、東京は世田谷生まれ。
その後、愛知県岡崎などを経て、京都市に到着。
65歳時に癌を患い、抗癌剤の副作用等々で、それまで毎週の芝刈り生活を終了。
現在は専ら家庭菜園で、暑い寒いと文句を言いながら土を耕し中。
今もRock BandでBassなどを担当。
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