巫女舞に魅せられて―「神楽巫女」の仕事―

神楽舞を踊る神楽巫女・久保さん

古都・京都には多くの神社が点在し、七五三やお宮参りといった子供の成長から、交通安全、受験や仕事、金運、恋愛、安産など、様々な願いをしに祈祷に行きます。一般的に「祈祷」というと神主さんが神様に祈りを捧げる姿がイメージとして浮かびますが、巫女さんが舞ってお祈りを捧げる「巫女舞」も祈祷の1つ。今回はそんな巫女舞を生業とする女性、久保陽子さんにお話を伺いました。

神楽巫女って何?

神様へ参拝者の願いを伝えるのが「神楽舞」。主に祭事で行う祈祷のこと。

「神楽舞」というのは神様へ捧げる舞のこと。主に「神楽殿」を構えている神社でご祈祷の舞を踊ります。始まりは、

天の岩戸に隠れてしまった天照大神が出てくるきっかけを作った、天鈿女命という神様の踊りだといわれます。

文化庁広報紙『buncul007』

とあるように、神話にまでさかのぼります。

その後時を経て、吉田神道から神職が作られた際に「神楽舞」も確立していったとされています。「神楽舞」を通して神様にお願い事を伝える巫女が「神楽巫女」なのです。

「神社に行っても巫女さんが舞っているのを見たことがない」という方もいるかもしれません。それもそのはず、祭事がない日には基本的に神楽舞は行われていません。見てみたいという方は、例祭などの祭事の日に行ってみて。神楽舞でのご祈祷をお願いすることができます。家柄や縁故で奉職することが多かった神楽巫女ですが、今では一般の方が神社で舞を見たことをきっかけに門を叩くことも多いのだそうです。

今回お話をお伺いした久保さんは、京都で神楽巫女のお仕事をして14年。一般的な巫女職と違い、神楽巫女には定年がありません。22~23種類ある舞のうち12~13種をマスターしたという久保さんはちょうどキャリアでいうと中堅クラスといったところでしょうか。舞に魅せられた久保さんに、巫女舞との出会いをうかがいました。

「踊りが好き」から始まった神楽巫女の仕事

久保さんは学生時代を京都で過ごし、文化財などにかかわることを勉強していました。その学びを活かし地元・静岡の神社で巫女職に奉職します。社務所での受付や境内のお掃除など神社の庶務全般に従事するなかで、あるとき神社の方針で神楽を取り入れることに。巫女として舞を学ぶことになりました。「朝から晩まで舞の練習をしました。そのときに指導してくださってたのが今の先生なんです」。学生時代、能楽部で毎日汗を流していた踊り好きな久保さん。この濃密な舞の練習こそが、舞の楽しさに触れた最初のきっかけだったと言います。

一般的に巫女職は20代後半~30歳が定年で、かなり早くに訪れます。久保さんも20代後半にさしかかり、次のキャリアを考えるようになりました。そのときに浮かんだのが「神楽巫女」舞の楽しさとともに、巫女としての実績を活かせるだけでなく、神楽巫女は年齢に制限がないので長く続けられる。久保さんは学生時代に過ごした京都に戻り、尊敬する先生の下で神楽巫女として第2の人生をスタートさせることを決意しました。

神楽巫女の仕事のリアル

舞の種類は22~23種ほどあり、神楽巫女は日々稽古を重ねて覚えていく。

久保さんがマスターしている舞は10種類以上。素人考えでは、それだけの種類があると混乱してしまうのではないかと尋ねると「はい、あります(笑) 扇を落としてしまったり、神楽殿の四方が空いていて正面がわからなくなったりすることも」と少し恥ずかしそうに失敗談を明かしてくれました。そんな経験があるからこそ、「基本に忠実に丁寧に」が久保さんの一番大切にしていることでもあります。「舞っているときは、練習で先生が伝えてくださった言葉を頭の中で追うことが多いです。所作、手の高さや広げ方など基本を徹底的に教えてもらっているので、それに忠実に舞っていますね」。

「基本に忠実に」は、巫女として働くうえで何より大切な心構えだと言います。その「基本」には、舞の動作だけでなく、和装の所作、そして神職として参拝者と神様に対する責任感も含まれます。

思いを神様へ届ける「神職」

各神社によって天井の高さ、広さなど空間の使い方が異なるため、柔軟な対応が必要になることも。

「袴が汚い」。初めて先生と会ったときに言われた言葉は、久保さんに大きな衝撃を与えたと言います。「袴姿で掃除や水仕事をしていたので、周りの巫女仲間も皆汚れていました。ですので、気にしてなかったんです」。しかし巫女は、お参りに来た方の思いを神様に伝える手助けをする仕事。参拝の方は、さまざま思い・願い・祈りを抱えています。神社で手を合わせるときに鈴を鳴らしますが、鈴の音は神様に思いを伝えるとされており、巫女も鈴の音を奏で神様にその思いを伝えます

久保さんは先生との出会いで、改めて神様にお仕えする仕事であることを自覚し、失礼のない所作や身だしなみ、心の在り方を大切にすることになったのだそうです。

この仕事は「好き」がすべて

「舞の稽古が日頃のストレス解消になることもあります」と微笑む久保さん。

舞の種類も多く、スムーズに袴を着たまま躍ることはとても難易度が高いもの。1~3年の間はデビューできないというくらい、神楽巫女には修業時間が必要です。たとえ日舞やダンスなどの経験があっても、巫女舞はまた別物。1から修業をする必要があります。

加えて夏は暑く、冬は寒い(ダウンベストを白衣の下に仕込んでいることもあるのだとか!)、朝も早いなどという厳しい条件のことも多くあります。

また、神楽巫女は祭事が主なので、副業として従事する人が大半。久保さんも本業はまったく別の仕事をしています。神楽巫女の仕事を大切にしたいから、就職は「休みの調整がしやすいこと」を優先して探したのだそうです。

体力的、条件的にも厳しい部分が多くある仕事に思えますが、久保さんは「私は練習のときから『楽しい』しかないんです。大変だと感じたことも一切ない」と微笑みます。ダンス経験もあまり役に立たない世界だからこそ、好き、楽しいが一番大切。「憧れだけで飛び込んでいい。好きになることが一番大事だと思います」と強調します。

「仲間と楽しく切磋琢磨しています!」

熱心に舞の稽古に取り組む久保さん。時には先生が宿泊しているホテルまで押しかけて稽古をつけてもらったこともあるそうです。好きこそものの上手なれというように、先生からも「異例なくらい覚えが早い」と太鼓判を押され活躍していきます。今後は新しい舞を覚えたいと、舞への情熱は冷めることを知りません。

稽古仲間は中学生から人生の大先輩まで幅広く、親子で通っている人もいるのだとか。年齢や性格、出身地、本業と多様な仲間。唯一の共通項は「舞が好き」ということだけ。「純粋にこの仕事が好きという人しか残っていないと思います。だから皆仲も良いですね」。

音と舞に乗せて、神様に心願を伝えてくれる神楽巫女。美しく、清く、神秘的な存在のその実は、地道なお稽古を前向きにコツコツと続ける努力家なのだと、今回お話を聞いて知ることができました。軸もぶれず、一度も足元を見ず、前後左右を正面だけを見ながら華麗に移動していく久保さん。その一歩に揺るぎない強さを感じさせられました。

(撮影協力:北野天満宮)

投稿者プロフィール

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ゴトウ クミコ
大阪で生まれ育ち京都に住み着いたライター。
20年前と比べて、嗜好品が酒とコーヒーだけになったのが自慢。
女子を2名産み落としたのは十数年前のこと。
いまだに2人の寝顔で酒が飲めるのも自慢。
絶景と食、おもろい人と会社、団体を探しておもしろがるのがライフワークです。

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