街はエイトビート~大宮は京都駅🔸ローカル京都コラム

昭和生まれのRock人間が街の風景を紹介 もりもり

私は東京に生まれ、愛知県岡崎市を経て小学校4年生の春から京都に住むこととなりました。

その後は大学などを東京で過ごし、就職してからも東京勤務の時期がありました。

ですから、東京・京都を往復することが多く、まだ若かった頃は東京駅を降りたら東京弁を話し、京都に着けば京都弁を話すという生活でした。

人生の区切りとなるような私的イベントも京都駅や新幹線の姿と共に思い出すことが少なくありません。

京都駅は、国鉄の駅として成立しましたが、現在は西日本旅客鉄道・東海旅客鉄道・近畿日本鉄道・京都市交通局の駅となっています。長きにわたり京都の交通の要となっている場所です。

京都駅は、一大ターミナル駅というだけでなく、賑わいの場所であり、近年その要素を大きく増大させてきました。

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私が転居のため、家族と共に京都駅に特急つばめから降りたったのは、1964(昭和39)年の春でした。

東京オリンピックが開催された年ですが、この年、京都駅に東海道新幹線が乗り入れられ、駅の南側八条口の発展が進むこととなります。

この年はまた、京都タワーが竣工した年でもありました。

当時、京都駅周辺の商業施設といえば、大正時代から続く「丸物」(後の「近鉄百貨店」)と「京都駅観光デパート」があるくらいでした。

近鉄百貨店があった場所は今、ヨドバシカメラになっていますし、京都駅観光デパートは駅ビル内で「THE CUBE」と呼び名が変わります。

その後もこの地には、多くの大型商業施設やホテルなどが次々と立ち並ぶこととなります。

地下街ポルタ、イオンモール京都、JR伊勢丹、京都アバンティ等々、数え上げればきりがありません。

(後に地下街ポルタと駅ビルのTHE CUBEは統合され「京都ポルタ」となります。)

駅ビル自体も4代目となっています。

以前の我々的感覚では、交通の中心は京都駅でしたが、買い物をしたり遊んだりする場所の中心は圧倒的に四条河原町などの旧来の繁華街でした。

今では、両方の性質を兼ね備えた京都駅周辺が、一大賑わいの場所として君臨しています。

そこにインバウンドを含む圧倒的な観光客の増加という現象が加わり、現在では一種異常ともいえる大賑わいの光景が出現しています。

しかし、我々の過ごす街、四条大宮も以前にはそのような役割と賑わいを有する場所でした。

今、阪急と呼んでいる鉄道会社に関しては、過去いろいろと他社と合併したり名前を変えたりしているようですが、その時においても公式の略称は「阪急」のまま変わらなかったということですので、ここでは失礼ながら細かな変遷等については捨象させていただき、「阪急」と表記させていただくこととします。 

現在の阪急・大宮駅の当初の歴史を簡単に記しますと、下記のようになるようです。

1931年(昭和 6年) 3月:「阪急」京阪線が西院駅から延伸し、その終着である京阪京都駅として開業。案内上は単に「京都」とすることも多かった。

1943年(昭和18年)10月:会社合併に伴い、京都駅(京阪神京都駅)に改称。

1963年(昭和38年) 6月:「阪急」京都本線の河原町駅延伸に伴い、大宮駅に改称。

つまり、現在の阪急・大宮駅は、大阪と京都を結ぶ「阪急」の終点として、昭和初期から38年まで「京都駅」として存在していたのです。

写真は、昭和30年頃とされる、その写真です。

『符川寛氏撮影写真資料』「四条大宮」、同志社大学人文科学研究所所蔵資料

この写真には、興味深い情報がたくさんあります。

駅のアナウンスとして、

「京都駅」「大阪 神戸 寶塚 嵐山 ゆき」「阪急電車のりば」

と大きく記されています。

駅ビル出入口周辺には、

「阪急食堂」「阪急百貨店 直営売店」「向日町競輪」「名所遊覧バス」の表示、宝くじの看板などが並びます。

現大宮駅が、京都駅としての賑わいを見せています。

周辺には多くの商店街を生み出してもいました。

1963(昭和38)年に河原町駅ができるまで、現阪急電鉄京都本線の終着駅であったこの「京都」駅より東側に京都市電が、西側には市営のトロリーバスが走っていて、交通機関の一大ターミナルになっていました。

(市電に乗ったことのない人も市電の姿は知っていると思いますが、トロリーバスは全く知らないかもしれません。また機会がありましたら、調査、発表いたしたく思っています。)

また、明治43(1910)年最初にこの地にやってきた嵐山電車(嵐山電車軌道、後の京福電鉄嵐山線)も存在していました。

周辺からたくさんの人が訪れて活気に溢れていたことが容易に想像できます。

当時の国鉄京都駅を利用した人も多かったのでしょうが、この「阪急」京都駅から仕事や京都観光に向かった人々も多かったのでしょう。

その後も四条大宮はターミナル駅としての機能を果たし続けていましたが、いつの間にか、特急は止まらなくなり、映画館やボウリング場が消え、最近では、本屋もなくなってしまいました。

本屋のない街というのは、いろいろな意味で「寂しい」場所です。

写真は、現在の阪急大宮駅ビルの姿です。

「阪急」京都駅を直接知らない私ですが、四条大宮が現在の「寂しい」状況から脱することを心から期待しています。

そのためにこのサイトが有効に貢献してもらえたらと願っています。

投稿者プロフィール

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もりもり
1955(昭和30)年、東京は世田谷生まれ。
その後、愛知県岡崎などを経て、京都市に到着。
65歳時に癌を患い、抗癌剤の副作用等々で、それまで毎週の芝刈り生活を終了。
現在は専ら家庭菜園で、暑い寒いと文句を言いながら土を耕し中。
今もRock BandでBassなどを担当。

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